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56年前の母と子

五十六年と数ヶ月前の母と子 です

撮影者は母の父 このとき夫は海外にいてここにはいなかったから
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母の目になにか寂しさが感じられるのは私の思い込み?
夫がいなくても自分の実家で自分の父が構えるカメラに
こんな寂しそうな目をする母はこのとき何を思っていたのか?
それは多分私の一生の謎になってしまいそうです



a long time ago


虚弱児の少年が養護学級から帰ると

話があるからと母に呼ばれました

少年は今日も帰宅途中でいじめに合ったことは

母には何も話さずに母の話に耳を傾けることにしました


母の話は少年がまだ母の身体の中にいたときのこと


母の身体の中に腫瘍というできものができ

それをそのままにしておくと母もお腹の中の少年も

死んでしまうということでした


母は自分の夫とも両親とも相談をして

手術をしてその「おでき」をとることにしました


ただ 当時の医療技術ではお腹の子は死んでしまいます


少年は生まれないはずの子だったのです


でも 生まれた

母は少年が「奇跡の子」なのだと言いたかったのでした

奇跡の子なんだからいじめなんかに負けないで

強く生きろと言いたかったのでしょう


少年は母の話を一生懸命聞いていましたが

逆にとても悲しくなりました



「自分はお母さんから見捨てられた子なんだ」

「殺されるはずの子だったんだ」


この話を聞かされた時

もし少年があと五、六歳大人で

きちんと思慮分別のできる少年になっていたら

そんなことは少しも思いはしなかったでしょう


この時 皮肉にも母の想いは少年には届かず

少年は「悲しみ」と「不信」という

二つの大きな感情を背負って

その後の数年間を生きることになりました


やがてそれなりの思慮分別が付いて

母の選択が正しかったと理解できるようにはなりました

しかし自分の命が「奇跡の生命」なのか「捨てられた生命」なのかは

その後もずっと分かりませんでした


素直に奇跡の生命かもしれないと思えるようになったのは

病気をして医師から「一生車椅子の生活」と言われても

歩けるようになった三十歳ころかな?

実際歩けるようになったのは奇跡だって医師に言われたしね


うつ病になって八年目に突入してしまったけど

そろそろ三度目の奇跡を起こして完治しないといけないですね

そうしないと母に心配をかけたままになってしまいます


ひとつだけ母に言えた言葉でよかったなって思う言葉があります



「母さん、生んでくれてありがとうね」


「育ててくれてありがとう」


介護中に自然に口から出てきた言葉です



あとは 母にも奇跡を起こしてもらって

元気になって還って来てもらわないとね


少年が青年に変わる頃に聞いて涙が止まらなかった曲です
時間があったら聞いてみてください  とても良い曲です



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by hikarinoparetto | 2012-12-12 03:29 | 家族